育児中ちゃめの喜怒哀楽

夫と1歳娘との日々、過去の思い出を小説っぽく綴ります。

「転」んで「転」んで「転」んだ今年

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今週のお題「現時点での今年の漢字

「転」

今年、まだ1月だが「転」んだ回数は3回

2022年、もうすでに

3回ほど転んでいる。

 

これ、1歳の娘の話ではなく、30手前の私の話。

 

そして、つまづいて危なかったとか、もうちょっとで転びそうになったとかでもなく、

3回ともしっかり転んでいる。

 

まだ1月だというのに

「2022年になってから3回も転んだ」

と言うと、

「元々ドジでしょっちゅう転んでいる人なのでは?」

と思われるかもしれない。

 

ドジという部分は否定できない。

しかし、これだけは伝えたい。

 

2021年は1回も転ばなかった。

 

そして、

2020年も確か転んでいない。

 

というか、

大人になってからは、なかなか転んだ記憶がない。

これまで、つまづいたりすることはあっても、

転ばずに何とか耐えていた。

最後にいつ転んだかも覚えていないほどである。

 

1回目の「転」

そんな私だが、2022年1月1日、

実家に帰省していた時に転ぶこととなった。

 

畳まれた布団を跨ごうとした時、

「うゃああああ。」

という間抜けな声とともに、

滑って転んだ。

実家のフローリング×靴下

は非常に滑りやすくて危険だった。

 

娘を抱っこしていた時だったが、不幸中の幸いで、

後ろに尻もちをつく形で転んだので、娘は無事だった。

また、尻もちをついた先が布団の上だったので、体へのダメージは、ほぼなかった。

 

しかし、

精神的なダメージはあった。

その時は、間抜けな声を聞いて、

「え!?大丈夫!?」

と心配し集まってきた家族に笑ってごまかしたのだが、

久々の転倒に正直驚いた。

転んでしまった時の体勢もカッコ悪すぎて、

心底、

ここが家で本当に良かった

と思った。

まぁ、大抵転んだ時の体勢はカッコ悪いものなのだが…。

何より、今日はお正月だ。

新年早々転ぶなんて、

かなり幸先が悪い。

 

2021年と2022年の運

2022年のお正月から転ぶなんて、

2021年に運を使い切ってしまったのかもな、

とも思った。

思えば、去年の12月、

2021年最後の最後で

我が家では気持ち悪いほど運が良いことが続いた。

 

家の近くでやっていたスタンプラリーのイベントに参加し、応募したら、

後日当選の連絡とともに、なかなか買えない高価なお菓子が届いた。

そして、夫は車屋さんで言われるがままに応募したら、温泉ペア無料招待券が当たった。

 

…まぁ、それだけなのだけど。

しかし、普段から特別な運を持ち合わせていない我が家にとって、

1ヶ月の間に2回も当選通知が来るなんて、

奇跡のようなことだった。

普段の我が家で考えると、

気持ち悪いほど運が良い

と言っても言い過ぎではなかった。

 

運が2021年12月にラストスパートをかけすぎて、

誤って

2022年分まで使い切ってしまったのかもしれない。

と転んだ時に考えた。

転んだ割に、頭はよく働いていた。

2022年は運が全く来ないかもしれない。

転んだのが、何てことない日だったら、

2022年の運が…

なんて考えなかっただろう。

しかし、今日は1月1日…。

 

ろくな1年にならないかもしれない

と思わざるを得なかった。

 

2回目の「転」

しかし、それから5日も経たない時、

また転んだ。

 

今度は、家の床から立ち上がる時に

ズボンの裾に足が引っかかって前に転んだ。

「ファッ」

と小さい声を出しながら転んだ。

娘はその様子をいつになく冷めた目で見ていたのだが、

これはいよいよ、2022年まずいかもしれない

と思った。

こんなに短期間に2回も転ぶなんて、何かの予兆だったらどうしよう

とさえも思った。

神様が今後起こる良からぬことを必死で訴えているのかもしれない。

 

毎日注意して生きよう。

と心に決めた。

 

3回目の「転」

そして、注意しながら生きていたはずの3、4日後、

また、転んだ。

 

買い物バッグを両手に抱えながら家の内階段を登っている時につまづいた。

今度は静かに転んだ。

 

3度も転ぶと、ショックとか、焦りとか、怖いとかそういうのは一切なく、

面白くなってきた。

 

これは、いいネタになると思った。

元々私は悪いことや嫌なことが起こると

ちょっと盛りながら面白おかしく誰かに話してネタにしているのだが、

2022年1月上旬時点で3度も転んだなんて、

ネタにしかならない。

神様は良からぬことの予兆を示しているわけではなく、

ただ、ネタを提供してくれている気がした。

 

ただ、もう転ぶのはこりごりだ。

十分である。

今までは幸い家の中でしか転んでおらず、大恥をかいたこともない。

怪我もせずに済んでいる。

最近の運動不足も相まって、

今度転ぶ時は、大怪我をするかもしれない。

以前、転んで骨折したと友人から聞いたこともある。

 

ことわざ的には

「七転び八起き」なのだろうが、

「七転び」は困る。

 

三転び四起きでどうか行かせてください、神様。

 

ブログからの解放

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軌道に乗らないブログ

ブログを始めたのは11月。

 

初めから、

育児中だし、毎日の更新は無理そうだな…

というのはあった。

 

無理なく行くと週2くらいの更新になるかな…

書けそうな時には多く更新すればいいか!!

 

と思っていた。

 

しかし、びっくり仰天、

たった4記事書いただけで年が明けた。

 

明けましておめでとうございます。

 

スーパーでは、節分の豆が売られ始めているが、

この挨拶はいつまで使えるのだろうか。

 

書きたいけど書けないブログ

娘とシャワーの主導権についての

非常にくだらない記事を書いたのが最後。

それから、もう1ヶ月以上経っている。

 

chame0.hateblo.jp

 

この記事を書いた直後は

まだ、週2、最低でも週1の更新をしたい気持ちがあった。

だから、ネタを集めて記事を書いていた。

 

しかし、どれも何だかピンとこない。

 

ワクワクしながら書けないし、読み返してニヤニヤすることもない。

 

中途半端な下書きばかり増えていった。

 

まずい、もう少しで1週間が経ってしまう。

最低でも週1更新したいと決めたのに。

何か書かねば。

 

と思いながらも、結局公開できるような記事が書けなかった。

 

開き直って新たな境地

そして、あっという間に1週間が経った。

それと共に、私は開き直った。

 

締め切りがあるわけでもない。

仕事でやっているわけでもない。

大勢の人が待っているわけでもない。

世間的には何の影響もない。

ご迷惑もおかけしないし、お騒がせもしていない。

 

そして、

公開したくなる記事が書けない時は、

別に書かなくていい

ことにした。

 

周りの人からすると、

どうぞ勝手にしてください

という感じだろう。

 

しかし私は、

そうと決めた途端、すごく楽になった。

 

自分が勝手に立てた目標に追い詰められ、疲れ果てていたのだが、

これまた、

自分がその目標を勝手に無くしたことで、気持ちが楽になったのである。

 

もう、運転中や寝かしつけの時にブログのネタを必死に考えなくて済む。

娘がなかなか寝てくれない時や、思ったよりも早くお昼寝から起きてきた時に、

ガッカリせずに済む。

(まぁ、これはブログとか関係なくガッカリする…)

なかなか思うように書けずにイライラしなくて済む。

 

こんな風に書くと、

まるで毎回素晴らしい記事を書いている人みたいになっている。

しかし、忘れないで欲しいのが、

今まで4記事しか書いていないということだ。

(しかも、かなりくだらない。)

4記事程度でここまで追い詰められるのも珍しい。

 

そろそろ書きたくなった

それからというもの、月日が経つのは早かった。

その間、自分がやりたいことを思う存分やって過ごした。

 

そして、ついに、

あー、そろそろブログ書きたいなー!

と思ったので、今回書いてみたわけだ。

 

今年の目標は

「ブログに勝手に追い詰められず、書きたい時に書く」

にしようかと思う。

おそらく今年は目標達成できるだろう。

 

シャワーの主導権を握りたがる1歳娘

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シャワーで見る娘の成長

もうすぐ1歳半になろうという娘。

最近シャワーヘッドを自分で持ちたがる。

以前、真似っこについての記事を書いたが、

これもその一つなのかもしれない。

chame0.hateblo.jp

 

初めてシャワーを持ちたがった日は、感動さえ覚えた。

この前まで抱っこされた状態でしかお風呂に入れてもらっていた娘が、

今、自分でシャワーを持とうとしている。

すごい成長だ。

 

「何事も経験」が子育てのモットーである私は、

迷うことなくシャワーヘッドを娘に渡す。

自分の体にシャワーをかけることができた。

素晴らしい。

私は心の底から

「すごい!!上手にかけたね!!」

と褒め称えた。

褒められていることが分かる娘は、自信に満ちた顔をしていた。

 

次の日、また娘はシャワーを持ちたがった。

持たせてやると、

昨日と同様、自分の体に上手にシャワーをかけた。

それだけでなく、私のシャンプーまで流してくれた。

娘の優しさが身に染みた。

 

シャワー主導権の移り変わり

そんな日が続くと、だんだんシャワーの主導権が娘に移っていくのを感じた。

油断すると、いつの間にか娘がシャワーを持っていた。

シャワーヘッドを自由に動かして、勢いあるシャワーが色々な場所に当たるのを

楽しむようになっていた。

もう、私の頭はもちろん、自分の体にシャワーをかけることもなくなった。

最近の私は、シャンプーを流すとき、

娘が持っているシャワーの位置に頭を持っていって流している。

まるで、娘にシャワーを使わせてもらっているようだ。

 

もちろん、娘の気持ちはすごくわかる。

こんなに楽しい遊び道具はないだろう。

私だって、水道代、ガス代を気にしないでいいなら、

今でも無心でシャワー遊びを楽しめると思う。

それほどシャワーは魅力的だ。

 

娘は数ヶ月前まで

顔にシャワーがかかるのが嫌すぎて

浴室に入った瞬間泣いていた。

(今は、顔を洗うときだけ一瞬泣く)。

当時の私は、毎日お風呂に入れるのが苦痛だった。

「赤ちゃん 顔にシャワー 嫌がる」「赤ちゃん お風呂 泣く」

などと必死に検索した。

お風呂を好きになってもらうためにはどうしたらいいのか毎日考えていた。

懐かしいなぁ、大変だったなぁ。

そして、楽しそうにシャワーで遊んでいる娘を見る。

まぁ、大目に見てやるか。

 

しかし、人間の感情は移ろいやすいものである。

その後、娘の振り回したシャワーヘッドが私の頭に当たった時、

私はブチギレそうになった。

痛いし、とても危ない。

さっきのは無しだ!!

前言撤回!!

もう危ないから遊んではいけないと、シャワーヘッドを取り上げなければならない。

本来のシャワー主導権は1歳の娘ではなく、私にあるはずだ。

 

シャワーの主導権を取り戻したい

でも、私は知っている。

最近、自己主張が激しい娘のことだ。

今、私が彼女のシャワーヘッドを取り上げると、大泣きするに決まっている。

 

今日は夫の帰りが遅いので、私一人で自分と娘の入浴を済ませなければならない。

現時点で、娘の顔と頭しか洗えていない。

先はまだまだ長い。

ただでさえ、声が響きやすいお風呂場。

今、大泣きさせることだけは絶対に避けたい。

 

目標は、娘を泣かすことなく(一瞬泣きなら許容範囲)シャワーヘッドを取り戻すこと。

まず初めに、

「お母さんが使いたいから、シャワーちょうだい♪」

と穏やかに言ってみた。

すると、娘は首を傾ける。

もう、「ちょうだい」の言葉の意味は完全に理解しているはずである。

それなのに、トボけて、

「えっ?何のことでしょうか?」

みたいな雰囲気を醸し出してきたのだ。

 

演技派すぎる。

これは末恐ろしい。

 

次に、

「わぁ、ありがとう。嬉しい!お母さんにくれるのね。優しいね。

と、まだもらってもいないのに言ってみた。

「いつもキレイに使っていただきありがとうございます」

というトイレのあの張り紙と同じ戦略だ。

先に感謝をすることで、次の行動を促す。

 

しかし、私が感謝しながら笑顔でシャワーヘッドを取ろうとすると、

娘は絶対に渡すまい!と、

すごい力で握りしめた。

とても、お母さんにくれるような雰囲気ではない。

他にも、いつもなら興味を持つスポンジやブラシを渡してみたが、

この日はどれもダメだった。

 

シャワーヘッドを取り戻すための秘策

そこで、私は勝負に出た。

シャワーヘッドの根元を軽く持ち、振る。

ポイントは、

私がこっそりシャワーヘッドを操作しているというのに気づかれないようにすること。

振り続けているとバレる可能性が高まるので、ずっとは振らない。

ちょうどいい頃合いで、たまに振る。

 

突然暴れ出したシャワーに娘は戸惑っていた。

暴れ出すだけならシャワーが色々なところにかかって面白いで済むのだろうが、

厄介なことに、たまに顔にもかかる。

娘からすると、これはかなり迷惑な話だ。

 

先ほど、顔を洗った時には一瞬泣いたので、今回も泣くかもしれないとは思った。

大泣きしそうならまた別の作戦を考えればいい。

しかし、娘は泣かなかった。

何度か暴れるシャワーが顔にもかかったが、

たくましいことに、その度に顔を拭って堪えている。

 

おそらく、

いつもは母親にシャワーをかけられているので「やめてくれ!」と泣いているのだろうが、

今回は自分がシャワーを操作しているということで

泣くに泣けなかったのだろう。

私からすると、これは予想外の結果だったが

「一瞬泣きもしない」という、最高の結果になった。

 

そして、

「自分にはこの暴れるシャワーヘッドを上手に扱える能力がまだない」

「母親に渡した方が顔にかからずに済む」

という考えに至ったのか、すぐにシャワーヘッドを返してきた。

 

こうして、作戦はあっさり成功した。

 

娘は、今回のことでシャワーを持つのにも技術がいると思っただろう。

「自分が持った時には暴れていたシャワーも母親が持ったら落ち着いた」

「やっぱりお母さんはすごい」

と、尊敬の念を抱いてくれるかもしれない。

しかし、

「私は、将来お母さんのようなシャワー使いになりたい。」

と誰かに言い始めたら…という懸念もある。

 

まだ言葉を話せなくてよかった。

 

増えた体重と下がった骨密度

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弟の身体測定

先日、健康診断があった。

 

まずは身体測定。

身体測定といえば、思い出すことがある。

小学1年生だった弟、

身体測定の日、学校から満面の笑みで帰ってきた。

そして、これ以上ないドヤ顔で母に言った。

 

「ねえ!すごいことが起きた!!

俺さ、かあくんより身長低いじゃん!?

全然身長違うじゃん!?

でもさ、でもよ!

かあくんに座高では勝ってた!

すごいよね?あの、かあくんだよ!」

 

かあくんは背の順で一番後ろ、そして、弟は一番前だった。

3年生だった私は、

あの背の高いかあくんに弟が

身体測定で1つでも勝てる項目があったことに

驚いた。

そして、弟に

「え!!本当に!!すごいじゃん!!」

と拍手を送った。

 

一方、母は頭を抱えていた。

この勢いだと、弟は学校中で言いふらしているだろう。

先生は苦笑いするしかなかっただろうし、

お友達も

身体測定で、一番小さいクラスメートが一番大きいクラスメートに勝ったことに驚き、

帰って親に言うかもしれない。

とんだ恥さらしである。

 

母は、ペンと紙を用意した。

そして、

立った人と座った人の絵を描いて、

座高が高いことの意味を説明してくれた。

当時の私たちは、

足が速い方がかっこいいというのは分かっていたが、

足が長い方がかっこいいというのには、イマイチピンと来なかった。

しかし、母の口調から、

友達より身長が低く座高が高いのは、

決して喜ばしいことではないというのはわかった。

 

大人になった今、身体測定の度にそのことを思い出し、

ちょっとニヤついてしまう。

それにしても、

かあくんはどれだけ足が長かったのだろうか。

そして、

弟の足はどれだけ短かったのか。

 

増えた体重の心当たり

そんなことを考えながら身体測定を済ましていると、

体重を量ってくれた人が近づいてきて小声でこう言った。

「ちゃめさん、去年より体重が5キロ増えてますが

心当たりはありますか?」

 

「5キロ」

に衝撃を受けながらも、

心当たりはあった。

というより、心当たりしかない。

 

1日のほとんどを家で過ごす毎日。

小腹が空いたら手の届くところにお菓子。

自分のご飯以外にも娘の食べ残しを食べる。

お店では大盛りを注文。

移動は車。

娘が遊んでいる間、ママ友と座っておしゃべり。

 

どうだろうか。

食べているのに、全然動いていない生活

浮き彫りになっている。

むしろ、

こんな生活をしていて5キロ増くらいで済んだことに

感謝しないといけない気もしてきた。

 

産後太りと私

「産後太り」

という言葉があるが、先日まで私は無縁だと思っていた。

実際、出産してからしばらくは、

いくら食べても太らなかった。

むしろ自分史上一番痩せていた。

産後、親戚に会うと、

「ちゃめちゃん!

すごい痩せたけど大丈夫なの!?

ちゃんと食べてる!?」

普段大盛りを食べているのに

心配されるほどだった。

そんなこともあり、

自分は食べても太らない体質かもしれないという思いが

湧いてきた。

(過去何度かぽっちゃり期があったというのに、

よくそんなことが思えたなと今は思う)

 

おそらく、つわりですごく痩せ、

そこまで太らないまま出産し、

産後は授乳でカロリーを上手い具合に消費してくれたのだろう。

娘が大きくなるにつれ、授乳回数が減り、ついに断乳

それなのに、変わらず大盛りを頼み、ろくに運動もしていない。

 

こうして自分で分析してみるとわかる。

 

太って当たり前だ。

 

去年の体重が自分史上一番痩せていた体重だったので、

5キロ増といっても、私の通常体重に戻った感じであった。

しかし、

この生活を変わらず続けていると、太る一方

だということはわかった。

さて、どうしようか。

 

非常に高い骨密度

今回の健康診断、

ショックだったのは体重の増加だけではなかった。

 

以前の私は、

「健康診断で一番自信があるのは何ですか?」

と、聞かれることがあれば、

迷わず

「骨密度です !!」

と答えただろう。

まぁ、誰もそんなこと聞かないだろうけど。

 

数年前、初めて骨密度を測った時のことである。

「骨密度って何?」

と思いながら靴下を脱いで、測定してもらう。

判定後、お姉さんが色々と説明してくれる。

「骨密度が低いとね、こんなことになる危険性があるんですよ。

まぁ、これだけ高ければ大丈夫ですが。」

「骨密度を下げないためには、こんなことしたらいいと言われています。

まぁ、ちゃめさんは気にしなくていいですが。」

もらった判定用紙を見ると、

私の測定値を表す印は、

平均よりかなり上、どころか

枠からはみ出ていた

 

数分前まで

「骨密度って何?」状態だったくせに、

この結果はとても嬉しかった。

何事も平均よりかなり上というのは嬉しいものである。

家に帰るとすぐ、母に判定用紙を見せながら自慢した。

 

それから何年間かは、

ずっと高い骨密度を維持し続けた。

 

下がっていく骨密度

しかし、去年の健康診断から雲行きが怪しくなっていた。

骨密度マスターである私は、

待っている間にすぐに脱げるように靴下を限界まで下げておく。

そして、名前が呼ばれると一瞬で靴下を脱ぎ、

測定器に足をのせる。

検査結果が出たようだ。

しかし、お姉さんは私の検査結果が出ても驚いた表情を見せない。

あれ、おかしいな。

毎回驚かれるのに。

「こちらが結果になります」

と見せられた結果には、私が驚いた。

なんと、平均よりちょっと上

 

もちろん余裕で枠の中におさまっている。

 

思わずお姉さんに言ってしまう。

「あれ!?いつもすごく高いんですけどね!!

何でだろう…。おかしいな…」

お姉さんは、

さぁ、何ででしょうね。

という表情をしている。

そして、

「今も平均より上なんで大丈夫ですよ!」

と励ましてくれた。

「そうですね!」

と言いながらも、

ここ数年、

枠からはみ出た骨密度を叩き出し続けている私は、

「平均よりちょっと上」くらいでは

満足できなかった。

 

そして、今年。

もっとも恐れていたことが起きた。

骨密度測定後、

お姉さんが恐る恐る

「骨密度っていつもどんな感じでした?」

と聞いてきた。

嫌な予感がしながらも、

「いつもすごく高いんですよ!」

と言う。

すると、首を傾げながら、

「今回はこちらになりますね…」

と測定結果を見てびっくり。

平均よりかなり下ではないか!!

 

これはショックだった。

先ほどの体重の増加よりもショックだ。

「えー!!前まで枠からはみ出るほど高かったんですよ!!

何でこんなに下がったんだろう…」

と言う。

すると、ちょっと考えてからお姉さんは言った。

「最近痩せたりしました?」

どうやら、痩せると骨密度も低下することがあるらしいのだが、

残念ながら私は5キロ太っていた。

 

そして、骨密度が低いことによって起きやすい病気と、骨密度を下げないための対策を聞かされた。

まさか、この私が骨密度について指導される立場になるなんて…。

ショックすぎて帰り道、母に電話した。

枠からはみ出ていた頃を知っている母は、当然驚いていた。

 

骨密度が低下した原因

やはり、運動不足が原因かもしれない。

家に帰ってからは、人をダメにするソファには座らず、

出来るだけ立ったり歩いたりしてみた。

 

それから数日後、

ママ友に骨密度が下がっていたことを伝えると、

「授乳で骨密度が下がることがあるらしいよ」

と言われた。

 

なるほど!!

そういうことだったのか!!

確かに、骨密度が下がった時期と授乳期は同じ時期だった。

 

それにしても、こんなに下がるなんて!!

授乳、恐るべし。

(運動不足も原因なのでは?)

 

 

心あたたまる娘の真似っこ

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今週のお題「あったか~い」

可愛い真似っこ

1歳娘、

最近のブームは

「真似っこ」

 

子ども番組のダンスが流れると、急いでテレビの前に行き、体を揺らし始める。

いつ転ぶかわからない、よたよたした踊り。

動きがワンテンポ遅れているし、爪先立ちでジャンプをしたつもりになっている。

 

しかし、

それがたまらなく可愛い。

何なら、

上手にできていないところが可愛い。

 

テレビから拍手が聞こえたら一緒に拍手をするし、

私が柔軟体操をしていたら、隣で同じポーズをする。

できる真似は全部する。

 

大人のじゃんけんにも参加。

「じゃんけんぽん!」

娘は『パー』を出す。

あいこでしょ!」

また『パー』。

あいこでしょ!」

またまた『パー』。

 

まだ『グー』と『チョキ』の真似は出来ない。

 

困った真似っこ

中には困った真似っこもある。

 

まずは、食後の拭き掃除の真似っこ。

食べこぼしだらけのテーブルや床を拭いていると、

すかさず真似しにくる。

 

い、いや、ちょっと待って、今来ないで!

あぁ、来ちゃダメー!

あー!!ご飯踏んじゃってるよ!

待って、ダメダメ、歩かないで。

その米粒がついた足で歩かないでー!!

→強制連行

という流れである。

 

最近は、

食後すぐに、録画リストにある子ども番組をつける。

そして、娘がダンスに夢中になっている間に素早く拭く。

真似っこの対象をすり替えるという作戦は、

今のところ成功している。

 

1歳にして女子力が高いようで、お化粧の真似っこもしたことがある。

私が髪を乾かしていると、リビングから夫の大きな声がした。

「やばい!真っ白になってる!!」

「何が?」

と聞くよりも行った方が早いと思ったので、

急いでリビングに向かった。

すると顔の半分が白い娘

髪の毛もちょっと白い。

近くに化粧下地が転がっている。

こらえきれずに笑ってしまう。

見つかって、

「あ、まずかったかな?」

みたいな顔をしているのも面白くて

拭き取る前にちゃっかり写真も撮った。

忘れてはならないのが、これはお風呂上がりの出来事だということだ。

 

あったかい真似っこ

ある日の夕飯の支度中、

娘が静かすぎることに気がついた。

子どもが静かすぎる時は、

ほとんどの確率で悪さをしている。

 

その予感は的中し、ボールペンでテーブルいっぱいに大掛かりな絵を描いていた。

近くにある絵本も黒くなっているし、

娘の顔や手にも黒い線がたくさん入っている。

そうだ、最近ボールペンでよく書く真似をしていた。

いつもは芯をしまった状態でしていたが、何かの拍子で出たのだろう。

 

慌ててボールペンを取り上げる。

やっぱり大泣きした。

遊んでいたものをいきなり取り上げられた辛さは分かるが、

こちらも、なかなか辛い。

 

あぁ、この絵本、気に入ってたのにな。

このテーブルの黒、簡単に落ちてくれたらいいけど。

顔や手はお風呂の時に洗えばいいかな。

でも、ご飯を食べる時黒いままだぞ。

なんでこんなところにボールペンなんか置いてしまったんだろう。

夕飯の支度も途中なのにどうしよう。

夫はいつ頃帰ってくるのかな。

今下ろすとまた泣くだろうな。

 

娘を抱っこしながら、そんなことを考える。

何からすればいいんだろう。

もう何もしたくなくなってくる。

 

その時、娘が私の背中をトントンしてくれた。

私がいつも娘にしているトントン。

これも真似っこなのだろう。

娘なりの優しいリズムでトントンしてくれる。

 

元はと言えば、

娘が原因でこんなことになったのだが、

小さな手の一生懸命なトントンに心があったかくなった。

高校時代、学業でなくブログに専念していた

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高校時代のブログ

夫と1歳の娘と暮らしている私。

30手前でブログを始めてみた。

 

実は、以前ブログをしていたことがある。

高校生の時だ。

当時は、ブログが流行っていたのでほとんどの人がブログをしていたように思う。

私も部活のメンバーとブログをやっていた。

高校生カップルあるある

そんな中、カップルでブログをやっている人たちがいた。

ご丁寧に、

どこでデートしたとか、

手を繋いだとか、

記念日に何をもらったとか、

2人の日常を事細かく書いてくれているのだ。

そして、

自分の彼女(彼氏)の優しい行動や、

キュンとしたエピソードなども

惜しみなく公開してくれる。

そういったブログに嫌気が差す人もいるかもしれない。

でも私は、

「付き合うっていいなぁ!」

ニヤニヤしながら読んでいた。

 

しかし、そういう人たちは結構すぐ別れてしまうので、

ブログが閉鎖されるのも早かった。

 

カップルといえば、

記念日や相手のイニシャルなどをメールアドレスに入れている人もいた。

彼氏も彼女も友達の場合は、

「メアド変更しました(^ ^)」

というメールが同じ日に来る。

そのメールをもらった人たちは、

2人が付き合い始めたことを察する。

 

しかし、何ヶ月か後に再び

「メアド変更しました。」

とメールが来る。

今度は絵文字も何もなく、

業務連絡のようなメールである

そんなメールが来たら、

別れたことを察しなければならないのだ。

 

すぐに付き合ったり、別れたりと、

何とも高校生らしい。

別れた時のことを考えずに、

ブログを始めたり、メールアドレスを揃えたりするところも、

若いなぁ。可愛いなぁ。

と思う。

 

大人になると、

「気になってる同僚がいるんだけど、別れた時は社内で気まずいよね。」

などと、

付き合う前から別れた時のことを考えてしまうのに。

大人になんてなるもんじゃない。

読むことも書くことも好き

知り合いカップルのブログをよくチェックしていたことは言うまでもないが、

友達や先輩のブログも同じようによく読んでいた。

週一で更新されるかされないかのブログでも

更新されていないか頻繁に確認していた。

 

更新されていた時はワクワクしながら記事を読んでいた。

何てことない短い記事だったとしても、

新しい文章を読むのはとても楽しかった。

 

読むだけではない。

自分も毎日記事を書いていた。

大したことない日常をただ綴る日がほとんどだったが、

ネタがある日は笑いを狙った記事を書いていた。

 

飽きっぽく、何事も長続きしない私だが、

ブログだけは3年弱毎日書いていた。

やっぱり書くことが好きなのだろう。

意気込み

ここまで読んでいただければ分かるだろうが、

毎日、人のブログの更新状況をチェックしながら、

自分のブログも書いていたので、

当然、勉強が疎かになった。

 

妻であり、母である今、

疎かになるのは家事育児だ。

 

家庭崩壊の危機を招くと大変なので、

毎日更新はできないと思う。

しかし、今、私の周りはネタだらけである。

1歳娘を育てているとネタになることしか起きない。

そんな日々を過ごしていると、私の書きたい欲がウズウズしてきた。

そして、やっとブログをスタートすることができた。

 

生活に支障が出ない範囲で

楽しく続けていきたいと思う。

 

よろしくお願いします。